【オノ・ヨーコ 私の窓から】コンセプチュアル・アートの起点「東京」|クロードクル

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2015年11月18日
【オノ・ヨーコ 私の窓から】コンセプチュアル・アートの起点「東京」

オノ・ヨーコ氏は、「コンセプチュアル・アート」の先駆者として、現代アートの第一線で活躍している。「オノ・ヨーコ 私の窓から」を通して、「東京」という文脈を踏まえながら、オノ氏の活動を支えるものを探ってみたい。

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オノ・ヨーコ氏のアート活動が世界的に評価されているのはなぜ?

「コンセプチュアル・アート」の先駆者、前衛芸術家、そして故ジョン・レノン氏の妻・・・。波乱万丈な経歴から描き出されるオノ・ヨーコ氏の姿は虚像であることが多い。雑誌やテレビでオノ氏の活動を知り、その半端な知識を以て「オノ・ヨーコは・・・」と語るときの「オノ・ヨーコ」がその典型であろう。
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《穴》2009年

私自身も、これまでオノ氏を色眼鏡で見ていた。しかし、「オノ・ヨーコ 私の窓から」鑑賞後、私の中でオノ氏への偏見が崩れ去った。同時に、「オノ・ヨーコ氏のアート活動が世界的に評価されているのはなぜ?」という疑問が私の中に浮かんできた。本記事では、その疑問について考察してみたい。

「東京」という文脈でたどるオノ・ヨーコ氏のアート活動の軌跡

「オノ・ヨーコ 私の窓から」は、1990年代以降の作品展示に始まり、10代のオノ氏が東京で過ごした10年間へとさかのぼる。「東京」という文脈で構成された本展を通して、オノ氏のアート活動をたどってみよう。

オノ氏の救いとなった客観性を象徴する《私の窓から》

2002年に制作された《私の窓から》シリーズは、「オノ・ヨーコ 私の窓から」のタイトルとメイン画像にもなっている。
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《私の窓から セーラム1692》2002年

《私の窓から セーラム1692》には、オノ氏が幼少期に見たという魔女裁判の絵のイメージが重ね合わされている。ジョン・レノン氏と結婚したオノ氏は、世間から「魔女」として糾弾され、魔女裁判の理不尽さにさらされた。そして、ジョン・レノン氏の死。《私の窓から 日の出》の血塗られた眼鏡がこの悲劇を象徴している。

《私の窓から》シリーズについてオノ氏は語る。「私の中に客観的なところがあったから、それが私の救いになりました。自分に溺れなかったから私は助かったということです」。「窓」は、オノ氏の救いとなった客観性をも表しているのだ。

コンセプチュアル・アートの場で生まれるつながり

そもそもオノ氏は、他の人を勧誘するアートに対して、「嫌だなぁ」という感情を抱いていたそうだ。しかし、「自分が『嫌だなぁ』と思うくらいだから、それはすごく面白くなるんじゃないか」と思い切って、他の人たちを巻き込むアートの道へと進んでいった。

1962年から64年まで、日本に帰国したオノ氏は、概念そのものに芸術的価値を付与するコンセプチュアル・アート作品をいくつも発表した。そんなオノ氏の活動がピークを迎えたのは1964年。詩集『グレープフルーツ』が500部限定で出版された。
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《「グレープフルーツ」のためのタイプスクリプト》1693-64年

また、同じ年には、東京新橋の内科画廊にて、初夏の早朝に《モーニング・ピース》も行われている。
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《モーニング・ピース》1964年

オノ氏は、未来の日付が書かれた紙を牛乳瓶の破片に貼り付け、ランダムな値段設定で販売した。特定の場所と時間に多くの人たちを巻き込むパフォーマンスだった。

東京での活動を通して、オノ氏はさまざまな人やものをつないでいった。こうしたつながりは、後に「みんなで一緒にやろう」という人たちにもつながっていく。オノ氏は、つながりの連鎖を「運命的にさせられた」と考える。

《私たちはみんな水(東京ヴァージョン)》に込められたオノ氏の思い

オノ氏は自身を客観的に見つめ、活動の原動力とし続けた。幼少時代の孤独も、男性社会で味わった苦労も、ジョン・レノン氏との結婚がきっかけで受けたさまざまな暴力も、それら全てをコンセプチュアル・アートへと昇華したのだ。「新しいものをいつも作るべきだというアーティストの責任がある」という意識に突き動かされながら。
そんなオノ氏の活動を支えるものは何か。ここで参考になるのは、2006年に制作された《私たちはみんな水(東京ヴァージョン)》。
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《私たちはみんな水(東京ヴァージョン)》2006年

ズラッと並んだお椀の底には、ブッダやヒットラーなどの名前が刻まれている。人間は誰もが水なのだから、みんな一緒に蒸発しよう、というコンセプトの作品だ。《私たちはみんな水(東京ヴァージョン)》について、「みんな平等だということです。批評なんかしないでただ受け入れるという考えを表しているんですね。」とオノ氏は語る。

ここにあるのは人類愛。オノ氏のアート活動は、人類愛に支えられているからこそ、多くのつながりを生み、世界的にも評価されているのだ。

戦後の東京で形成されたオノ・ヨーコ氏の表現の萌芽

1945年、終戦。東京は焼け野原だった。「焦げた木から若葉が出てきた時代だったんですよね。そういう経験が私のアートの中に出てきていると思います」と当時を思い出すオノ氏。
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《見えない花》1952年

焦げた木から出てきた若葉。まるでオノ氏のその後の人生を象徴しているようだ。若葉が成長して青々と茂っていくように、戦後の東京で形成されたオノ氏の表現の萌芽は、大きな人類愛となって全世界で花開いていく。
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記者会見でのオノ・ヨーコ氏

「あなたがたも皆一人一人大事な人生なんですよ。世界中の人と自分の人生を大事にしてください。」

記者会見の最後で、オノ氏はそう訴えた。オノ氏の人類愛は、「東京」という文脈を超えて、今も世界中の人々に希望を与え続けている。

オノ・ヨーコ|私の窓から
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/yoko-ono-from-my-window.html
●会期:2015年11月8日(日)~2016年2月14日(日)
●会場:
東京都現代美術館 (企画展示室地下2F)
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1
URL http://www.mot-art-museum.jp/
●開館時間:10:00-18:00 (入場は閉館の30分前まで)
●休館日:月曜日(11/23、2016/1/11、3/21は開館。)
●アクセス:
東京メトロ半蔵門線・清澄白河駅B2番出口より徒歩9分
都営地下鉄大江戸線・清澄白河駅A3番出口より徒歩13分

著者:みみずく

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平日の夜は、家庭教師として小学生から高校生まで幅広く指導しています。国語・数学・英語などの主要科目だけでなく、面接・作文・小論文なども教えます。各科目の勉強法や指導テクニック、受験に関するあれこれなど、教育に関する情報を家庭教師ブログに掲載しています。「両国 家庭教師」で検索してみてください。
土日は、様々なイベントに参加するため、都内を中心に首都圏を動き回っています。アートやサブカル、妖怪、アングラ、フェチなど、偏った興味関心の赴くまま、好きなものを追い求めることに一生懸命です。名刺をばらまいたり、一眼レフで写真を撮りまくったりしているうちに、いつの間にかお友達が沢山できていました。イベントに関する情報も裏ブログ(下記サイトURL)やSNSで発信中です。
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